[023]いまだに鎖国を続ける日本。「日本人優越主義」を捨てないと、ますます衰退する 印刷

2009年5月25日

「派遣切り」より先に起こった「日系人切り」


 豚インフルエンザ(swine flu)の大騒ぎで、あまり注目されなかったが、5月12日に、日本政府が外国人の再入国制限の緩和を表明したのは、久しぶりにいいニュースだった。
 というのは、これまで政府がやってきた外国人労働者に対する「帰国費用支援事業」は、外国人差別政策にほかならなかったからだ。

 当初、この問題が表面化したとき、私は、「あまりにもひどい。日本はやはり鎖国国家だ」と思った。

 この大不況の影響をモロに受けているのは、じつは、在日外国人、とくにブラジルやペルーなどの南米からやって来た日系人労働者たちだ。彼らは、この大不況で真っ先に失業した。「派遣切り」より先に、「日系人切り」が起こっていたのである。
 いくら「派遣」とはいえ日本人労働者を切ると、批判を浴びる。そこで、まず、日本人より先に切られたのが、彼ら日系人労働者たちだったというわけだ。

 

 

 「帰国費用支援事業」という外国人追い出し政策


 日系人労働者のほとんどは、切られたら最後、日本では暮らしていけない。まして、この大不況では再就職などない。
 そこで、政府は、日本での再就職をあきらめ、母国に帰国するなら、本人に30万円、扶養家族に1人20万円を国が支給する「帰国費用支援事業」を、この4月にスタートさせた。

 ところが、この制度にはとんでもない罠が隠されていた。
 それは、事実上「再入国を認めない」ということ。もちろん、そんなことは明文化されていなかったが、再入国に関しての期限設定がなかったから、いったん帰国してしまえば日本には戻れないのである。こうなると、この支援を申し出た人々に、政府が「帰るなら費用は出す。しかし、2度と日本には戻ってくるな」と言っているのと同じだった。

 この制度を利用するのは、当然、帰国しようにもお金がない人たちである。彼らは、まず、自分で航空券を予約する。その後、外国人登録証のコピーなどの必要書類を各地のハローワークに提出する。そうして、支給が決まると、国が航空券の代金を直接旅行会社に支払ってくれるので、航空券を受け取れるということになっていた。


帰国支援のための援助は「手切れ金」ではないのか?


 このシステムは、一見しただけでは、彼らを助けているように思える。しかし、よくよく考えてみると、本人にお金を直接渡さないのだから、彼らをまったく信用していないことになる。
 日本政府は、外国人をはなから信用していないのだ。直接、お金を渡したら、航空券など買わないだろうと疑ったとしか思えない。

 しかし、さらにひどいのが、帰国航空券は渡すが、その額を支援金から差し引いた残額は、帰国後に本人に払うとしたことだろう。これは、帰国後に本人名義の現地の口座に、ドル建てで振り込むということになっていた。
 つまり、これは、日本への手切れ金ということになる。

 日本政府の役人たちというのは、なぜ、こんな血も涙もない制度をつくれるのだろうか? 本当に不思議だ。


もう1つの大問題。中国人「研修生切り」


 南米からの日系人労働者ばかりではない。この大不況で、中国人研修生たちも、さんざんな目にあっている。
 簡単に言うと、「派遣切り」ならぬ「研修生切り」だ。
 日本には「外国人研修・技能実習制度」というのがある。この制度を利用して、「研修・技能実習」を目的に、数年前から中国の若者たちが日本にやってきている。

 しかし、この「研修・技能実習」というのは名目だけだ。この制度によって、財団法人「国際研修協力機構」(JITCO)がこれまでやってきたのは、中小企業の安い労働力の確保である。つまり、日本で働きたい中国の貧しい若者たちを、ブローカーをとおして日本に連れてくることだった。日本人の若者だととても耐えられない薄給でも、中国人の貧しい若者なら耐えられる。住む込み、食事付きで月に3万円程度でも、彼らなら働くと、国は考えたのだ。

 それが、この大不況で、日本人労働者の半分、いや3分の1にも満たない彼らの給料さえ払えなくなった。当然、受け入れ先では、暗黙のイジメが始まり、露骨に「帰れ」という会社も出てきてしまった。
 私は、こうしたことをニュースで知るにつけ、本当にイヤな気持ちになる。これまで、外国人差別に関する取材もし、そうした本も出してきたので、「いまだにこうなのか」と、悲しくなってくる。


ブラジル政府からの抗議にやっと方針転換


 日本のメディアもさすがに静観できなかったのだろう、4月半ばから、こうした実態を次々に報道するようになった。そして、『NYタイムス』『BBC』も、この問題を取り上げ、批判的に報道した。その結果、ブラジル政府は「両国の歴史的関係にそぐわない」と見直しを求める書簡を日本政府に送った。
 そこで、さすがの日本政府もマズいとなり、今回、再入国を制限する期間については、「原則3年をメドとする」と、方針転換をしたのだった。

 河村建夫官房長官は、2009年5月12日の衆議院予算委員会で中川正春議員(民主党)の質問に答え、制限期間を「原則3年」(2012年3月)とする考えを示したうえで、「誤ったメッセージになったということは日本としても非常に残念」と述べた。


欧米人コンプレックスの裏返しとしての「日本人優越主義」

 
  なぜ、日本ではこうした「外国人差別」が続くのだろうか? 

 今回は、少しは改善されたとはいえ、多くの日本人は、いまだに外国人を部外者と考え、共存しようなどとは考えていない。
 それは、日本人の根底に「鎖国主義」、もっとはっきりいえば「自民族中心主義」(ethnocentrism)があるからだ。これは、欧米の白人の「白人優越主義」とほぼ同じ。自分たち以外の民族を見下す姿勢である。

 白人たちの「白人優越主義」(White Supremacy)は、本当に傲慢だが、日本人の「日本人優越主義」は傲慢というより醜悪だ。それは、白人(欧米人)にコンプレックスを持つことの裏返しとして、欧米人以外の外国人をより以上に差別、排除しようとするからだ。
 とくに、中国人、韓国人を見下すことが、私には信じられない。そして、この中国人や韓国人に対する以上の差別を、中南米人やアラブ人に対して持つのだから、救いがたい。

 国は批判されて方針転換したが、自治体のホンネ、地域社会のホンネは、「どんどん帰ってくれないか」だと思う。
 静岡県や愛知県などには、もう十年以上も日本に住んでいるブラジル人労働者がいる。日本で生まれた子供を持つファミリーもいる。こうした子供たちの生活基盤は、当然、ブラジルにはない。ポルトガル語ができない子もいる。こうなると、もう日本人と変わりないのに、彼らを心から受け入れないのが日本社会である。


移民は排斥するより受け入れたほうが社会は発展する


 考えてみれば、私たち日本人も19世紀末から20世紀前半は、移民として海外に渡っていた。そして、どこの国でも相当な苦労を強いられた。その歴史を振り返れば、移民排斥はけっして得にならないとわかるはずだ。
 排斥するより受け入れたほうが、社会に多様性が生まれ、その結果、社会はより発展・成長する。
 アメリカが強いのは、世界最強の移民国家だからだ。

 いまの日本の少子化や経済停滞の現実を考えれば、もっと積極的に外国人を受け入れてしかるべきだと思う。日本の将来を考えるなら、「日本に住みたい」「日本国籍を取得したい」という外国人には、「ありがとう」と感謝するぐらいでないと、いけないと思う。
 とくに、このグローバル時代には、思い切った開放政策が必要だ。

 日本はアジアでいち早く先進国入りし、そのまま今日まで、なんとかその地位を維持している。欧米の先進国をのぞけば、世界のどの国よりも日本はいい国、日本人は優秀だと、ほとんどの人間が思っている。

 しかし、もうそんな時代ではない。日本は日ごとに衰退している。
 じきにもっと国力が衰えれば、世界から見向きもされなくなるときがやってくる。それを思えば、南米の日系人という極めて親日的な人々に、この仕打ちはない。また、すでに購買力平価では日本を抜いている中国に、これ以上の敵をつくってはいけない。


日本では心(マインド)のグローバル化は進まなかった


 ここから、話が少々飛躍するが、ここ10年あまり、経済、政治、ビジネス、語学、ノンフィクションなどの本の編集をしながら、私が強く思ってきたのは、日本人の大多数が「グローバリゼーション」(グローバル化)がなんだかわかっていないのでは?ということだった。
 グローバリゼーションが始まってからもう20年になろうとしているが、これがなんだかわからないと、世界がわからない。自国のこともわからないということになってしまう。

 日本人は、この20年、じつは鎖国のなかで暮らしてきたのだ。
 こういうと、「そんなバカな。日本には世界中のモノがあふれている。外国人観光客も昔よりいっぱい来ている」と、言う人がいる。しかし、グローバリゼーションというのは、モノだけではない。
 日本で進んだグローバリゼーションは、モノだけであって、サービスや心(マインド)のグローバリゼーションは少しも進んでいないのだ。

 日本人は、なぜかグローバリゼーションについて強い抵抗感を持っている。それは、たとえば、数年前まで「グローバル・スタンダード」という言葉がグローバリゼーションの代名詞として使われ、「それは、結局はアメリカン・スタンダードだ」と、批判する人が多かったことでもわかる。
 このメンタリティは、アメリカのようになるなら日本は失われる。日本を守るのには、グローバル化に抵抗しなければならないという考えを生んだ。

 しかし、これは間違っている。


グローバル化によって統合された世界市場


 グローバリゼーションを突き詰めると、その本質とは、以下の3つになる。

1)国境を越えたモノとヒトの自由な移動(the openness of borders to people and goods)
2)新技術の急速な普及(rapid spread of new technologies)
3)国家間の相互依存関係の促進(interdependence of nations)

  1990年の冷戦終了後、この3つのことが加速され、いまの世界は昔では考えられないほど1つにまとまってきた。いまの世界同時不況を見ていると、もはや、世界経済は各国バラバラには存在せず、1つなのだと考えざるをえない。
ただし、世界はまだ、1つの共通ルールに基づく世界市場になったわけではない。だから、いろいろなひずみが起こる。

  しかし、現在の世界市場は、冷戦終結前と比べると、大きく違っている。
 冷戦時代というのは、世界ははっきりと3つのブロックに分かれていた。すなわち、西側世界(アメリカとその同盟国)the Western World、東側世界(ソ連とその同盟国)the Eastern World、そして第3世界(アフリカやアジアの発展途上国)the Third Worldだ。
 しかし、冷戦終結後は、ソ連崩壊とともに、ロシアと東欧の約4億人がこの市場に加わり、さらに中国の13億人、インドの11億人もこの市場に加わった。


世界を不幸にしたのは共産等独裁より強欲資本主義


 こうなると、前記した西側世界(アメリカとその同盟国)内で優等生、世界第2位の経済大国だった日本は、同じパラダイムでは生きるのが難しくなった。1990年代に入って長期低迷に陥ったのも、バブル崩壊というより、このパラダイム・シフトに、日本人が対応できなかったからだ。

 しかも、いまになっても日本は、まだパラダイム・シフトしていない。とくに、日本人のマインドはなにも変っていない。グローバル化した世界では、共産主義も民主主義も、イデオロギーも宗教も、もはやそれほど大きな問題ではない。

 それなのに、日本の一部の知識人やメディアは、いまだにグローバル化に中国やインドが参加していることすらわかっていない。「共産党独裁を続ける中国は信用できない。付き合えない」などと、平気で主張する人々がいる。
 じつは、中国の共産主義などもうないも同然で、今回の金融危機でわかったように、本当に世界を不幸にしたのはアメリカの強欲資本主義のほうだった。


フラット化する世界では労働者も国際競争に晒される


 日本人の大多数のマインドが変っていないのは、大学生を見ているとわかる。昨年、私はある大学で就職活動中の学生たちに講義したことがあるが、そのとき、彼らが本当に内向きなのには驚いた。

「あなたたちの就職が難しくなっているのは、なんのせいだかわかりますか?」
 この質問に、的確に答えられた学生は1人もいなかった。
 大多数が、ただ「不況のせいだから」と言い、自分たちは運が悪かったと思っているのには驚いた。

 グローバリゼーションは、世界の労働市場も1つになるような動きである。とすると、先に書いたように、ロシアと東欧の約4億人、中国の13億人、インドの11億人が参加したこの世界市場のなかで、日本人の雇用がなくなっていくのは、不況に関係なく、当然の流れなのだ。
 
 トーマス・フリードマンが書いたように、世界はフラット化している。
 フラット化する世界では、モノもサービスもマインドも、共通のものが求められる。たとえば、世界企業にとっては、労働者は同じレベル、同じ賃金なら、どこの国の人間だろうとかまわないのだ。
 フラット化する世界では、労働者も国際競争に晒されるのだ。


いまの日本人学生に就職競争力はほとんどない


 中国では、この数年で大学卒業生の数が飛躍的に増えた。去年は約600万人が卒業し、職を奪い合ったあげく、結局、「大学は出たけれど」職がないと言う状況になった。結局、大学卒業生の100万人以上が就職できなかった。
 そこで、中国と日本の大学生のレベルが、もし同じだと仮定したら、どうなるだろうか?
  世界展開する企業にとっては、現時点で給料レベルがはるかに高い日本人学生を雇う意味はなくなるだろう。

 私は、学生たちに言った。
「あなたたちの就職の本当のライバルは、となりにいる同級生や、ほかの大学の学生たちではないんだよ。中国、インド、アメリカ、ヨーロッパの学生たちだ。いまは、そういう時代なんだ」
 しかし、この言葉がわかったかどうかは、確かめようがなかった。ただ、この講義の最前列には、中国からの留学生が3人並んで座っていた。
 講義が終わった後、クラスを主催した先生から、そのことを聞かされて私は驚いた。そして、もっと驚いたのは、その先生がこう言ったことだ。
「あの3人の中国人留学生が、このクラスではいちばんできるんですよ」

 もし、世界が本当にグローバル化して、国境がなくなれば、日本人学生に就職競争力はほとんどないと言っていいだろう。なにしろ、世界共通語の英語ができない。
 そのうえ、日本の大人たちの悪影響で「日本人優越主義」にどっぷりと浸かっている。


グローバル化に逆行したためにガラパゴス現象が


 ただし、いまも刻々と進展するグローバル化を、日本人がまったくわかっていないわけではない。頭やマインドでは理解はしていなくとも、うすうすは気づいている。感覚的に、なにかおかしい。やばいとは思っている。
 だから、より内向きになり、鎖国を続け、国境を固く閉ざしていく。モノは自由に入れているが、規制は逆に強化し、国内市場が崩れるのを必死に不防いでいる。

 1990年代半ばから、政治的には保守政権が続き、言論的には右傾化が進んだのも、そのせいである。

 しかし、この内向きなマインドが、いまの日本の衰退を招いたことは疑いようがない。鎖国を続けたおかげで、国内市場では、たとえば携帯電話などが世界基準とは違う発展をとげるガラパゴス現象が起こり、日本は世界とますますかけ離れてしまった。
 このガラパゴス現象は、いまや、環境技術にもおよび、日本が得意の太陽電池から電気自動車まで、そのうち凋落してしまう可能性が大になってきた。

 日本の学校教育も、ここ何十年も鎖国を続けてきた。これは、多くの鎖国政策のなかでもっとも悪いことだったと思う。
 日本の教育というのは、なぜか「自分たちと世界の違い」ばかりを強調する。日本は島国だ、農耕民族だ、などということを言い過ぎて、結局、自民族(日本人)中心主義を子供に植え付けてしまう。
 あからさまには言わないまでも、「日本人は世界でも素晴らしい民族」と教え、その裏返しとして、「世界は怖い。外国人は怖い。つき合うとろくなことはない」ということを、暗黙のうちに若者に伝えてきたように思う。

 こんなことは、もういい加減にやめるべきだと、私は思う。
 もう開き直って、国を開き、世界中とモノ以外でも競争、協力していける人間を育てなければ、日本の今後はないと思う。


アジアはこれから1820年以前の世界に戻る


 私は、今後のアジアは、1820年以前の世界に戻ると考えている。それは、まだこのアジアに、大英帝国などの欧州列強(Western Powers)やアメリカが手を伸ばしていない時代である。 
 いまのグローバリゼーションが、アジアで行き着く先は、この1820年以前の世界である。
 

 1820年以前の時代、世界の国々のGDP順位は、

 1、中国(清帝国) 2、インド 3、フランス 4、ロシア 5、イギリス 

 6、イタリア 7、日本 8、ドイツ 9、スペイン 10、アメリカ

 であった。
 つまり、今後は、アメリカに代わって中国とインドが世界を制すのである。

 そんな変化を目前にして、いまさら、日本人優越主義も、鎖国もあったものではない。
 中国に行くと、中国人が私たち日本人以上に欧米人にコンプレックスを持っているのを感じる。だから、下手な英語でも使えば、一目置いてもらえる。しかし、中国の若い世代は、日本人の若者以上に英語を身につけ、欧米人コンプレックスから脱しつつある。
 中国でもほかのアジアでも、まだ日本人は一目置いてもらえる。しかし、あと数年で、そうしたアドバンテージも消えてしまうだろう。そのことを、いまから日本の若者たちに教える必要があると思う。