[085]東日本大震災でプリントメディア(とくに出版界)は大打撃。その現状と、ソーシャルメディアとマスメディアの役割を考える 印刷
2011年 3月 28日(月曜日) 23:30

「ヴィクトワールピサが日本に勇気と希望をもたらしました」「立ち直れニッポン、頑張れニッポン」のアナウンスに、思わず涙が出た。ヴィクトワールピサ鞍上のミルコ・デムーロも「アンビリーバル」と言って涙を流していた。

 これは、日本時間の3月27日午前2時45分、ドバイ・ワールドカップで、ヴィクトワールピサとトランセンドの日本馬2頭がワンツーフィニッシュした瞬間の光景だ。大震災から2週間が経ち、先行きが見えないなかで、初めて目にした心躍るシーンだった。深夜、節電のために暖房を切り、テレビの画面にかじりついていたかいがあった。

    
 Dubai World Cup ( photo / Skysport.com, Newsday com.)   

 しかし、翌朝目覚めると、原発はいまだに危機的な状況のなかにある。菅政権は復興に対するなんのビジョンもなく、右往左往を続けている。これで本当に日本は立ち直れるのだろうか?
 今日もまた、大いなる不安のなかで、このブログを更新するが、取り上げるのは、やはり自分が属するメディア業界のことだ。この大震災で、既存のメディア産業は、ほかの日本の産業以上に大きなダメージを受けた。とくに、出版産業の痛手は大きい。


新聞、雑誌、書籍をつくる紙がなくなった!

 「冗談抜きで出版大崩壊になっています」
 と、業界関係者からたびたび連絡が入る。この3月17日、私は『出版大崩壊 電子書籍の罠』(文春新書)という本を出したが、そのタイトルどおりのことが、今後、本当に起ころうとしている。この本は、電子出版が進むと出版界(プリントメディア)がどうなっていくかに焦点を絞り、メディアの未来を見据えたものだが、電子出版と関係なく、日本のプリントメディアはいま崩壊の瀬戸際まで追い詰められてしまった。

 まず、なんといっても紙がない。新聞、雑誌、書籍をつくるための紙の約3割が、今回の地震と津波で失われてしまったからだ。

 新聞用紙委員会によると、大王製紙のいわき工場、北上製紙の一関工場、日本製紙の石巻工場、岩沼工場、勿来工場、秋田工場など新聞用紙を生産する工場が当面操業不能な状態になってしまった。これらの製紙工場の新聞用紙生産能力は国内供給量 の17%を占めるとされているので、新聞への影響は甚大だ。
 ただ、新聞の場合は、新聞用に使う大きなロール状の「巻取紙」は、すでに1年分を確保してあるというからまだいい。ひどいのは、出版だ。

日本製紙石巻工場の消失で書籍は3割減る?

 出版界も、これらの製紙工場から紙の供給を受けていた。とくに、日本製紙石巻工場の存在は大きい。ここが操業できなくなってしまった痛手は、想像以上のものがある。 津波により、工場構内には土砂や瓦礫が堆積しており、現在でも、設備の正確な被害さえ確認できない状況という。また、三菱製紙の八戸工場も津波による浸水で1階部分に立ち入れず、再開の目処は5月以降になるという。

  日本製紙石巻工場

 たとえば、講談社、角川書店などの大手は日本製紙石巻工場と三菱製紙八戸工場で、これまで、必要とする紙のおよそ3割を調達してきた。それが、調達できないとなれば、今後の生産を見直さなければならない。
「今後は、雑誌に使う紙をなんとか確保しながら、書籍は優先順位をつけて選別して出していくことになる」という。

計画停電で印刷もピンチ、書店の売上げもダウン

 紙に続いて、計画節電の影響も甚大だ。印刷各社は、東京電力から操業の自粛を要請されている状態で、最大手の大日本印刷、凸版印刷もフル操業ができない状況になっている。工場によっては、10時間の操業ロスを余儀なくされたところもある。また、インクの在庫不足も伝えられている。

 さらに、先週までは流通もズタズタで、多くの雑誌が発売日の変更を余儀なくされた。ただ、いずれ流通は回復するが、回復できないのは流通の末端にある書店だ。東北の被災地域では、書店の復旧の目処はまったく立っていない。また、節電のために、首都圏の書店も18時で閉店するようになり、先週の書籍・雑誌の売上げは通常の7割まで落ち込んでしまった。

  八重洲ブックセンター「営業時間変更」の貼り紙

 もちろん、出版イベントなどはほとんどが中止。3月26、27日に千葉・幕張メッセで開催する予定だった「アニメコンテンツエキスポ」も中止になった。

出版市場は去年の7割に落ち込み、中小は倒産続出

「このままの状態だったら、出版市場は去年の7割まで落ち込むかもしれない」と見る関係者もいる。去年の出版界の売上は1兆8748億円だったから、本当にそんなことになれば、約5000億円が市場から消えることになる。
「これだと、中小出版社はもたないところも出てくる。今年の後半は、出版界で倒産が続出する」というから、もはや出版不況などという話ではなくなる。
 当然だが、リストラによる人員整理、給料カット、ボーナスカットも行われるだろう。

 すでに、ここ数年、新聞も出版も給料カットや人員リストラで、確実に体力を落としている。そんななか、今年はコストカットの成果で、大手も業績をイーブンか黒字化できるところまできていた。しかし、それも、今回の震災で見えなくなってしまった。

広告の自粛の影響をモロに被る新聞・雑誌

 このような状況に追い打ちをかけるのが、広告の出広が大幅に減ったことだ。テレビを見れば明らかだが、キー局は震災直後から3日間、CMなしの特番編成と過去に例のない報道体制を敷いた。先週からは、一部の局でCM枠を設けた放送となったが、多くのクライアントは状況を見ており、いまだに公共広告機構(AC)差し替えでの対応となっている。  
 ただし、通常、クライアントサイドからの要請でAC差し替えにすることから、広告料金は通常通り発生する。
 
 ところが、新聞や雑誌の場合、テレビと違い、申し込みをしても広告を掲載しなければ広告料金が発生しない。新聞はこの2週間、震災特別面で対応しており、莫大な広告収入がすっ飛んだ。また、雑誌もキャンセル、差し替えの依頼が広告主から相次いでいる。今週からは、代理店も広告活動の再開を模索するようになったが、トヨタなどの自動車メーカー、飲料メーカー、化粧品、ファッションメーカーなどの大手の広告がどのようなかたちで戻るのか、まだ不明だ。

 昨年以来電子出版のブームで、既存の紙メディアはデジタル化を進めるかどうかの岐路に立っていた。デジタル化は、現状ではプリントメディアに収益をもたらさないが、それでも各社、先行投資をしていた。しかし、紙の状況がこのようなことになれば、資金を捻出するのも難しくなるだろう。
 本当に、今後、プリントメディアがどうなるのか? いまの時点では私にもわからない。大手はすでに、今年度の損出額を想定して出版計画を練り直しているが、中小となると対応しきれていないようだ。

安否情報などで威力を発揮したソーシャルメディア

 ただ、今回の震災で、メディアの役割というものを改めて考えさせられた。 
 そのひとつは、既存メディア、つまりマスメディアはいまなお重要だということだ。いくら、ソーシャルメディアが普及しようと、使命感を持って報道することは、ソーシャルメディアを使うユーザー側にはできない。
 もちろん、ツイッターなどは、安否情報などの緊急対応には威力を発揮した。グーグルのパーソンファインダーもその威力を発揮した。

 ツイッターでいえば、政府や地方自治体、企業も積極的にツイッターを情報発信に活用し、情報を流した。自治体では役所機能が喪失した鹿島市、官庁では消防庁の「@FDMA_JAPAN」、首相官邸も災害情報専用のツイッターアカウント「@Kantei_Saigai」を開設したし、東京電力も「@OfficialTEPCO」という公式アカウントを始め、計画停電の情報を流した。

ツイッターは強力なデマの拡散装置として機能

 しかし、これは当事者発、現場発の情報であって、その外側にいるユーザーたちは、単に混乱させる情報を発信、増幅し続けていた。たとえば、ツイッターでは、コスモ石油千葉製油所のLPGタンク火災により、「千葉県内に有害物質の雨が降る」とか、原発の放射能を怖れて「天皇はすでに東京を脱出した」などというデマが、あっという間に広まった。

 ソーシャルメディアはこれまで、既存のマスメディアが偏向した報道をしたりした場合、それを打ち破る正確で偏りのない一次情報を発信できるものとして期待されてきた。チュニジアやエジプトの民衆革命では、確かにその役割を果たした。しかし、今回は、 強力なデマ拡散装置として機能してしまった。

 これは、日本国内だけでなく、世界中に拡散し、アメリカでは日本からの渡航者や荷物に放射線チェックを行うまでにエスカレート、中国ではあっという間に塩がスーパーからなくなった。

「キュレーター」なんてどこにいるのか?

 リツイッ—ト(RT)の威力は恐ろしい。誰も、真偽など確認せずRTボタンを押している。最近は、ネットではキュレーター(情報の目利き)が大事とされ、そういうキュレーターが情報のノイズの海から、私たちを正確な情報に導いてくれるとされるというが、そんなキュレーターは日本にはいないと言える。日本のSNSは匿名アカウントが溢れるばかりで、誰も情報に対価を払っていない。払えるのは、既存のマスメディアだけだ。

 ソーシャルメディア論が盛んだが、人間世界は善意や良心を持った人々だけで成り立っているのではない。そういう人ばかりがソーシャルメディアに参加する前提で書かれているメディア論は、幼稚というしかない。

 なかには、有益な情報も論争もあったが、現場発、当事者発でないものは、むしろ有害だったと言えるだろう。しかも、現場発、当事者発でない情報の発信者たちは、マスメディアをベースにして情報を加工し、再発信しているので、この点でも有害だった。

マスメディアとソーシャルメディアが融合する未来

 では、マスメディアのほうがマシかと言えば、そうでもない。海外のマスメディアのなかにもひどいのがあった。たとえば、英デイリーテレグラフ電子版は、「放射線の拡散で東京はパニック」と報じた。同じく米デイリーニュースも「日本は核災害でパニック」と伝え、米CNNのある女性キャスターはカリフォルニアで放射能が検出されたことで、「空気中の放射性物質が日本から風に乗って米国本土にまで拡散する」と、いくらウエザーキャスターが否定しても譲らなかった。

  CNN [ American Morning]

 日本のメディアの報道も冷静さを欠いて、センセーショナルなものもあったが、マスメディアがこうだと、ソーシャルメディアもその影響を受けざるを得ない。それでも、今回の大震災・原発報道では、ソーシャルメディアのほうがひどかったのは間違いない。

 この先、既存のマスメディアはどうしてもデジタル化せざるを得ない。電子出版が進み、ソーシャルネットワークによりウエブメディアが拡大していく状況を見れば、やがて紙はメディアのデバイスとしては主流ではなくなるだろう。とすれば、デジタルに移行しつつあるプリントメディアはこうしたソーシャルメディアの欠点をカバーしつつ、お互いに発展していくしかない。いまのように、「紙も電子も」という併存時代はそう長く続かない。

 いずれにせよ、今後の日本復興のなかで、メディアがどうあるべきか? を考え、これをチャンスと捉えなければ、単に「出版大崩壊」が進むだけだ。

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