メディアの未来[005]グーグル「ブック検索」問題のすべて 印刷

日本文芸家協会が抗議声明を!

グーグル「ブック検索」問題をここに総括する


グーグルに対し日本文芸家協会が抗議声明

 グーグルが進める書籍デジタル化問題で、社団法人・日本文芸家協会(坂上弘理事長)は、2009年4月15日、同社に対し「無断複製は承服できない」とする抗議声明を発表した。

 日本文芸家協会の声明文は、デジタル化を「日本の著作権法上、許されない行為」とし、和解案が重大な内容であるにもかかわらず、日本での通知が一部新聞などに広告を1回掲載しただけだったことを指摘。「信じられないほどの日本の著作権者に対する軽視。相談窓口も設けられていない」などと、同社の姿勢を批判した。

 このニュースを知って私がまず思ったのは、抗議は仕方ないとしても、協会はなにか勘違いしているのではないかということだった。
 それは、抗議しながらも、著作権者の利益を考慮して和解案には応じる方針であり、そのうえで、作品データの削除を要求するよう会員らに薦めている点だ。これはまったく矛盾した行動で、抗議するなら、和解に応じないのがまずすべきことだろう。
 しかも、会員に削除を薦めるというのもおかしい。なぜなら、削除しないほうが、現時点では会員(著作権者)の利益になるからだ。
 
 このように、日本文芸家協会のような組織が矛盾した行動に出るのは、やはり、デジタル時代というものをよく理解していないからではないだろうか。いま、なにが問題なのか、そして、今後どうなっていくのか、そうしたことに対する理解と想像力が欠如しているとしか思えない。

 そこで、これで、私がこのサイトの「COMMNTARY」で書いてきたグーグル問題に対する記事を、以下に、一括して掲載し、この問題に対して総括することにした。

 

1、グーグルの「書籍データベース化訴訟」和解で広がる波紋

2009年3月15日

 

グーグルはすでに700万冊以上をデジタル化


  現在、「グーグル」が進めている世界中の書籍のデータベース化をめぐり、日本でも懸念の声が広がり始めた。しかし、出版関係者のなかにも、このことがなに を意味しているのか、わかっていない人間が多い。とくに、私のまわりにはそういう人間がほとんどで、クビを傾げざるをえない。

 そこで、今回は、この問題を整理してみることにした。


 グーグルが、書籍をデジタル化しているのは、多くの人が知っていると思う。なにしろ、グーグルの社是は「世界のすべてをデータベース化する」ことだから、書籍も例外ではない。

 グーグルは、すでに700万冊以上のデジタル化を終えているという。グ—グルがこれを始めたとき、アメリカでは著作権侵害訴訟が起った。というのは、グーグルは、アメリカ国内の多くの大学図書館と提携し、そこの蔵書を著作権者に無断でデータベース化し始めたからである。

 グーグルの動きに困惑した全米作家組合などがグーグルを訴えたのは、2005年のこと。しかし、この訴訟は、約3年の審議をへて、昨年10月に、なんと和解合意が成立した。
 そして、今年の夏には、その和解が正式に成立することになったのである。


なぜ、アメリカ国内の和解が全世界に及ぶのか?


 ―—と、ここまで書けば、なんだアメリカのことと思うだろうが、この合意内容は、なんとアメリカ国外にも及ぶのである。後述するが、ほぼ全世界に及ぶ。だから、最近になって、日本の作家や著作権団体などが「そんなことになったらたまらない」と、騒ぎ出したのである。

 その和解内容のポイントは、

(1)グーグル側は無断でデータベース化した書籍などの著作権者に1作品60ドル以上、総額2500万ドル以上の補償金を支払う。
(2)今年1月5日以前に各国で出版された書籍のうち、グーグルが絶版とみなした書籍をデータベース化し、商業利用できる。
(3)ネット公開する書籍へのアクセス料や広告収入などの収益から63%を著作権者に支払う
 などである。

  ところが、この和解の対象が、アメリカ国内で著作権を有する人すべてとなっているので、日本の作家や著作物にも問題が波及する。というのは、著作権に関す る国際条約「ベルヌ条約」では、加盟国で出版された書籍はアメリカ国内においても著作権が発生する規定となっているからだ。

 また、この訴訟はクラスアクションよいうアメリカ独特の方式で、「私は関係ない」と思っていても、判決は全体に及ぶのだ。



参加拒否を通知しない限り自動的に和解に参加



 この和解案が決まった後、グーグルは、日本の著作権者や作家に向けて、新聞(読売新聞など)や雑誌(『ニューズウィーク日本版』2月25日など号)に公告を出した。また、朝日新聞が2月23日の紙面で、この問題を特集記事にし、読売新聞も大きく取り上げた。

 本当に間抜けとしか言いようがないが、それまで、こんなことが起きていることすら知らなかった作家や出版関係者も多い。

 それはともかく、この和解では、著作権者は、グーグル側に2009年5月5日までに和解への参加拒否を通知しない限り、自動的に和解に参加することになる。つまり、日本の作家はなにもしないと、自著をグーグルにデータベース化され、ネットで公開されてしまうのだ。
 ただ、和解に参加しても、2011年4月5日までに自著についてデータベースからの削除は要請できるが……。

 しかも、さらに問題がある。
 グーグルは米国内で一般的に入手できない書籍を「絶版」と定義しており、絶版とみなされれば、データベース化して商業利用ができるというのである。



日本文芸家協会は和解参加を前提に話を



 さて、では、日本の作家や著作権団体はどうしたか?

 社団法人・日本文芸家協会(東京都千代田区、坂上弘理事長)は、3月2日の常務理事会でグーグル問題について緊急協議。協会として、「会員とグーグルとの和解」を前提に対応していくことを決めた。ようするに、グーグルにやられたのだから仕方がないと諦めたのである。

 したがって、今後は、協会が一括して会員の意思表示を代行し、和解金を受理して対象の会員に分配するようにしていくという。このため、協会約4800人に対し、文書を発送して3月末までに意思確認をすることになった。
 といっても、いまだに原稿を原稿用紙で手書きをしている作家もいるので、なかにはなんのことかわからない作家もいるだろう。

 もちろん、著作権者はグーグルのデータベース化を拒み、和解に応じなくてもいい権利がある。しかし、そういう作家は、アメリカ国内で訴訟を起こすしかない。はたして、そんなことができる作家が、日本にどれだけいるだろうか? 私は1人もいないと断言できる。



今後、図書館はなくなり、出版ビジネスも衰退



 さて、ここで考えなければならないのは、グーグルによって、ほぼ全世界の書籍がデータベース化されたらどうなるか?という問題だ。
 
 当然、図書館は必要なくなるだろう。図書館に行かなくても、ネット経由で本が読めるのだから、これは、利用者にとっては便利。図書館利用者はますます減り、自治体には図書館を閉鎖するところも出てくるだろう。

  また、書籍のプリントパブリッシング(紙出版)も減るだろう。紙の本は、ますます売れなくなる。いまはただでさえ出版不況であり、また、デジタル化によっ てメディアはオンライン化している。そんななか、オフラインメディアの本の価値はどんどん低下しており、グーグルのデジタル化大作戦は、この流れをますま す加速させる。

 となれば、今後、作家や著作権者の収入は、本の衰退とともに減り、出版ビジネス(紙の出版)もどんどん衰退する。
 以前から、「グーグル恐るべし!」と思っていたが、今回の和解は「ついに黒船がやってきた」というほどの衝撃を、日本の出版界に与えている。



中小出版社にとっては死活問題か



 日本の多くの出版社が参加している日本書籍出版協会(東京都新宿区、467社)が、グーグルからの連絡で和解案を知ったのは、昨年12月末ことだったいう。
 その後、各加盟出版社に連絡したが、各社の足並みはいまだにそろっていない。というより、「拒否するとしてもどうしたらいいかわからない」というのが、現状だ。

 また、中小出版社98社でつくる出版流通対策協議会(東京都文京区、高須次郎会長)は、3月5日の定例総会で、急きょグーグル問題についての意見交換をした。
これを受けて、高須会長のコメントが毎日新聞(2009年3月9日)に載った。
 高須会長は「早急に勉強会を開いて対応すべき大きな問題」として認識が一致したが、具体策は「これから」と言い、こう付け加えて顔を曇らせたという。

「日本の出版社が、まともにデジタル化の問題に取り組んでこなかったつけが回ってきている。本の売り上げが減って倒産する会社がさらに増える」



一般の読者には大きなメリットがあるが……



 さて、今回の和解を伝えるグーグルのウエブサイトには、作家や関係者向けの専用データベースがある。著者名で検索すると、「司馬遼太郎」は427点、「大江健三郎」は286点出てくる。

 こうした本がすべて公開されてしまうかどうかは、グーグル次第だが、和解案が日本に適応され、著作権者が異議を申し立てない限りは、そうなるに違いない。
 
 もちろん、和解案は、一般の読者には大きなメリットがある。それは、
グーグルにアクセスするだけで、絶版や一般に流通していない書籍を入手できることだ。また、作家にとっても絶版になってしまった自分の作品が再び日の目を見ることになるうえ、それにより、また収入が入ってくるという可能性がある。
 ただ、和解に応じない作家や著作権者には、申し出義務を課すというのは、いくらなんでもグーグル側の横暴だろう。


著作権を「守る側」と「使う側」では利害が対立



 いずれにせよ、今回のグーグル問題が突きつけているのは、「著作権」copyrightに関して、出版社や著作権者、作家がどんなスタンスを取るかということだ。
 以下、私の出版人としての私見を述べれば、現在の「著作権」に対する考え方は時代に即していないということである。

  著作権について論じると、議論が多岐にわたるうえ、「守る側」と「使う側」では利害が対立して、まとまりがつかない。今回は、グーグルが攻める側で、守る 側が作家や出版社である。出版社や作家は、これまでオフラインの中で著作権により利益を出してきたので、それを守りたい。これがホンネだ。

 しかし、オンラインが主流になった現在では、収益が上がらない。上がるのは、グーグルのようなオンライン・サービスだけである。

 では、どうしたらいいのか? これは、こう考えるしかない。まず、単純に著作権とは、「著作物で金銭的な利益を得る」ために存在すると考えてみよう。

 そうすると、著作権というのは売買が可能となるので、著作権者(作家を含むすべてのクリエーター)は、これを売ることで利益を得ようとする。



「オリジナリティ」と「クエリティビティ」



 それでは、ここに、グーグルとは違って「あなたの著作物を1億円で買う」という著作権を尊重する人間があらわれたとしよう。あなたは、大歓迎するだろう。
しかし、その人間がこんな条件を出したら、どうするだろうか?
「買った以上、私の自由だ。だから、この著作物はこの場で破壊する」

 著作権というのは、それに「オリジナリティ」や「クエリティビティ」などがあるとされるから、著作権たりえている。コピーにはこれがない。
 とすれば、それを買った人間が勝手に破壊してもかまわないのだろうか?

「オリジナリティ」や「クエリティビティ」を信じる人間なら、当然、こんな取引に応じるわけがない。つまり、作家が本当に望んでいるのは、金銭ではなく、自分の作品が評価され、それが広く世の中に受け入れられることであろう。
 
 とすれば、グーグルがしていることは横暴とはいえ、本当は著作権者が望むところではないだろうか?



ネット登場以後の世界では旧来の著作権は通用しない



 ネットが登場する以前の世界では、こうした作家や著作権者の願いと金銭的な利益は、ある程度一致していた。本もCDも、そのほかのコンテンツも、オフラインで広く受け入れられる(数多く売れる)ことで、制作側に金銭的利益をもたらしてきた。

  しかし、ネットというオンラインは、「ネットワーク」の世界である。これは、オフラインとはまったく違う世界で、オリジナルは瞬時にコピーされ、あっとい う間に広まってしまい、オリジナリティやクエリティビティに対する正当な評価(つまり金銭的対価)はなかなか得られない。

 つまり、現行の著作権は、現実に対応していないのである。したがって、今回のグーグルと全米作家協会などの和解は、妥協の産物であり、今後のネット社会の進展によっては、新しく書き換えられなければならいだろう。

 以上、あくまで私の私見である。いま現在、私は既存メディア(出版社)に所属しているので、現実には、著作権者の権利を、旧来の著作権法により限りなく守っていかなければいけない立場にある。



一私企業が公共性の高いビジネスを支配する


 さて、最後に残る問題は2つだ。

 ひとつは、出版のような極めて「公共性」が高いビジネスが、グーグルのようなアメリカの一私企業によってコントロールされていいのかという問題。著作物は、まがりなりにも「知的所有権」を有している。それをすべてグーグルの手に委ねることはできないだろう。
 デジタル化独占禁止法をつくるべきではないだろうか?

 もうひとつは、人間には「沈黙を守る」という権利もある。これは、誰からも侵害されない権利である。だから、なんでもかんでもデジタル化するのは、このことを侵害していることにもなる。

 

2、グーグルの「ブック検索」和解訴訟後の出版界を考える

 

2009年4月8日

 

5月5日という期限が迫って、みな右往左往

 

  このブログの[0012]で取り上げた、グーグル「ブック検索」訴訟和解の波紋は、その後、各方面に広がり、各出版社は対応にどうするかで右往左往してい る。なにしろ、和解に参加しない、あいは異議申し立てを行うなら、5月5日までにしなければならないので、著作権者である作家からの問い合わせにどう応じ るか、会社として対応をどうするかを決めなければならないからだ。

  私が勤める光文社でも、「作家にこの問 題を知らせ、対応の相談に応じるべきだ」「いや、出版社は著作権者ではないので、そこまでする必要はない」「でも、作家は自分ではなにもできないし、そも そもこの問題がよくわからないから、今後のことを考えると、そうすべきだ」などと、意見が錯綜していた。

  もっとも、こ の問題に対しては、それぞれのリテラシーがバラバラで、どんなに話し合っても、まとまりようがないのも事実。出版社によっては、まず、 勉強会からはじめたところもある。つまり、そもそもクラスアクションとはなにか?書籍のデジタル化がなにをもたらすか? など、基本的なことを理解するの に多大な時間がかかっている。

  また、小さな版元となると、勉強会などやっている暇はないから、大手はどう対処する のかと、ツテを頼って聞きまわったりしてい る。もちろん、私の周囲でも、このことは最近の大きな話題で、「どうしらいいの?」と、マスコミ関係者や著者に聞かれることも多くなった。ただ、こうした 騒動ぶりを見ていると、まるで黒船来航時の日本のようだと思った。ようするに、誰1 人として明確な答えを持っていないのだ。

 

出版社は、著作権者である作家がどうしようとほうっておけ

 

 前回も書いたように、この問題がもたらす未来は、いまのところよくわからない。ただ、言えるのは、グーグルがこの分野で1人勝ちすることだけは明確だ。書籍のデジタルコンテンツを一手に握ることだけは間違いない。

 それに対してどうするかは、消費者(ユーザー、読者)、出版社、著作権者で、みな違う。だから、まとめようがないし、消費者をのぞいては利害が対立するので、不安になるのももっともだと思う。

  そこで、ここでは私見だけを述べるが、まず、出版社はなにもしなくてもいい。著作権者である作家がどうしようと、ほうっておけばいい。なぜなら、出版社は 著作権を使う側であって、基本的にこの権利を行使しておカネに換える側(一部の出版物ではそういうこともあるが)ではないからだ。

 講談社の見解も、おそらくそうで、「この和解に参加するか否かは著作者自身が決めること」とし、基本的に個別対応としたからだ。しかし、それでは、作家との長年の付き合いから冷たすぎると危惧し、印税支払い歴のある著者のうち約8000人に、このほど通知を出した。

  また、「Googleブック検索和解」のサイトの使い方などを作家に知らせ、web講談社では講談社の出版物でグーグルが「デジタル化する可能性がある」 と答えているもの約4000件をアップロードした。大手の小学館も角川も、ほぼ同じ対応を取った。つまり、これが日本の出版社の対応の限界だ。

 

グーグルの日本語サイトの翻訳はひどすぎる

 

  ここではっきり言っておきたいが、日本の作家でいまだに手書き原稿(つまりアナログ)の人がいる。こういう方は、ウェブがなにかもわからなければ、PCそ のものも使えない。「原稿用紙でないと書けない」と平気で言う。しかも、「キーボードで書くのと、手で書くのとは本質的に違う」とまで言う。

 これは、なんの根拠もない思い違いだが、ご本人が信じているだから仕方がない。ただ、こういう方に、今回のグーグル問題を説明する必要もないし、したとしても意味がない。 なのに、それを丁寧にしようとする大手出版社は、本当に気の毒だ。

 

 グーグル問題を手短に理解したい方には、成蹊大学法学部教授の城所岩生氏による「日経デジタルコア」での解説 (「ネットも本も」覇権握るグーグル(上)と(下))が参考になる。

http://www.nikkeidigitalcore.jp/archives/2008/12/post_180.html

http://www.nikkeidigitalcore.jp/archives/2008/12/post_180.html

 また、福井健策弁護士による一連のコラム「全世界を巻き込む、Googleクラスアクション和解案の衝撃」「(続)全世界を巻き込む、Googleクラスアクション和解案の衝撃 Q&A編」を読むことをおすすめしたい。

http://www.kottolaw.com/column_090210.html

http://www.kottolaw.com/column_090323_2.html

  本来なら、「Google」そのものにアクセスして、彼らの見解を読むべきだが、英語がわからなければどうしようもない。もちろん、日本語版の翻訳を読ん でももいいが、この翻訳がひどい。だいたい、問題の本質である「フェアユース」にすら、日本語のいい訳語がないし、「著者下位集団」とか「パブリッシャー 下位集団」と言われても、なんのことかわからず、腹が立つだけだろう。

 

ユーザーばかりか、著者側にもメリットは大きい

 

  ただし、グーグルの立場・主張は、極めてシンプルだ、彼らは、どこまでも「ユーザー」の利便性を強調している。ユーザーには、書店で手に入らない本にアク セスする手段を提供する(もちろんオンラインで販売するが)のだから、こんな便利なことはない。図書館や古書店で探す手間は省ける。また、グーグルのデー タベースには広告も集まる。そうした販売と広告からの収益の63%は、著作者に還元するというのだ。

 したがって、ユーザーばかりか、著者側にもメリットは大きい。なにしろ、アナログの出版物なら、絶版されてしまえばもうおカネは入ってこないし、市場にあって売れたとしても印税の一般的取り分は、出版物の定価の約10%にすぎないからだ。

 ただし、ここで日本の著作権者に悩ましいのは、いくら63%とはいえ、日本語の本がアメリカでそんなに売れるわけがないことと、売れたとしても、その支払いが、まったく知らない団体からなされることだ。

 

グーグルの収益配分を管理する「版権レジストリ」とは?

 

  グーグルは、この和解にあたって、米作家協会(Authors Guild)および米出版者協会(AAP)が運営する「版権レジストリ」に資金を提供し、そこを通して収益配分をするという。この「版権レジストリ」は、 「ブック検索」に限らず、ほかの事業者とのビジネスでも権利者を代理することになっている。

 いったいそれはなにか?という人もいるだろうが、「版権レジストリ」とは、音楽でいえば「JASLAC」である。ジャスラックの書籍版と思えばわかりやすいと思う。

  とはいえ、なぜ、そんな団体に登録もしてもいないのに自分の著作権を管理されなければならいのか? そう考える著作権者も多いだろう。じつは、私も著書が あるから著作権者であり、父親が作家(すでに死亡)だったから、その著作権継承者でもある。その立場から言うと、やはりどこか納得がいかない。

 しかも、その組織はアメリカにあって、日本には代理機関すらないのだ。

 これでは、日本の著作権者は手も足も出ないし、日本の出版社もまた、なにもできない。

 

書籍のデジタル化は「情報へのアクセス権の独占」につながる

 

 グーグルは、今回のクラスアクションの決着を、ことのほか急いだ。その要諦は、すべてここにあるといっても過言ではない。つまり、彼らはユーザーや著作権者には有利だと言いながら、書籍デジタル化の独占を狙ったのである。

 以前にこのブログで、「デジタル化独占禁止法をつくれ」と私が書いたのは、この「版権レジストリ」のことがあったからだ。

  書籍のデジタル化というのは、アナログの本を単にデジタルコンテンツに置き換えるという話ではない。それにアクセスするためには、グーグルを通すしかない となると、「情報へのアクセス権の独占」ということになる。グーグルは「排他的な独占権」を主張していないが、結果的には、必ずそうなる。

 書籍、とくに古典は、人類の英知が結集されたものである。それを、グーグルが一手に握るのだ。

 

グーグルは、今後、史上最大の図書館、史上最大規模の書店となる

 

 ここで、グーグルの「ブック検索」の経緯をふり返れば、それは、2004年にアメリカで始まった。本のデータは、パートナープログラムと図書館プロジェクトから提供されるという仕組みになっていた。

  パートナープログラムとは、出版社および著作者が提供するもので、これは了承のもとに行われた。しかし、図書館プロジェクトでは、そうした源著作者の了承 なしに、図書館側の了承だけで、当初カリフォルニア大学、ハーバード大学などが協力した。彼らは、古典作品のPDFファイルを公開し、その後、世界各国の 大学や図書館がこの流れにのった。

 日本では、2007年から日本語版のサービスが始まったが、慶應義塾大学がアジアで初めて協力したため、福澤諭吉の『学問のすすめ』などが、グーグルで読めるようになった。

 現在、グーグル「ブック検索」は、さらに進化を続けていて、2008年12月9日には、過去に発行された英語の雑誌記事の検索も可能になり、この2月5日にはiPhoneからの利用が可能になった。

 

 グーグルが握る書籍デジタル化に、いまやライバルは存在しない。今回の和解案が決まれば、まさに独壇場になるはずだ。

 日本の出版社は、デジタル化の本質に気がつかず、自社発行本のデジタルデータベースを構築することすらしてこなかった。

  もちろん、こんな日本は論外としても、ライバルと考えられたマイクロソフトは、すでに書籍のデジタル化プロジェクトを放棄している。また、オープン・ナ レッジ・コモンズ(旧オープン・コンテント・アライアンス)やインターネット・アーカイヴのような同業他社も、グーグルに比べれば、ゾウとネズミだ。

 つまり、グーグル「ブック検索」は、今後、史上最大の図書館となり、史上最大規模の書店となるのは間違いない。

  アメリカでは、このように、全世界に影響が及ぶことが、アメリカ人だけの判断で決まる。今回は、ベルヌ条約を逆手に取ったかたちだが、これに気がつかな かった日本や他国は、単にお人好しというだけの話だ。彼らは、ルールは先につくったものが勝ちであり、ルールメーカーこそが市場を独占できることをよく 知っている。

 

グーグルははたして節度を持って行動するだろうか

 

 それはともかく、グーグルが史上最大の図書館となり、史上最大規模の書店となったら、どんなことが起こるのだろうか?

 グーグルのこれまでの行動から考えれば、彼らは節度を持って行動するだろう。つまり、ただ儲けるためにだけにアクセス料を勝手に引き上げたりするマネはしないだろう。

 しかし、現在のグーグルが「フェアユース」を尊重し、どんなに節度を持とうと、私企業であることに変わりはない。株主も経営陣も代わる可能性はあるし、M&Aされることだってないとは言えない。

 となれば、書籍と「公共財」(コッモングッズ、common goodsあるいは、パブリックドメイン public domain)は、利益を生むための道具になることすら考えられる。

 今回の合意文書をよく読めば、グーグルは以下の2点を遵守すべきとされている。

 

1、個別の著作物およびライセンスごとの権利者の取り分は、市場価格に見合ったかたちで調整すること

2、 高等教育機関を筆頭に、公衆に広範なアクセスを保証すること

 これは、公共財を提供するうえでの大原則だが、それでもグーグルには顧客それぞれと自由にライセンス価格の交渉ができる権利が与えられている。

 

「機関ライセンス」「パブリックアクセス・ライセンス」「コンシュマー・ライセンス」

 

  グーグルは、今回の和解により、書籍データベースへのアクセスを有料化する。高校や大学をはじめ、さまざまな機関は「機関ライセンス」を購入することに よってデータベースにアクセスできる。また、公共図書館には館ごとに「パブリックアクセス・ライセンス」が発行され、データベースに無料でアクセスできる が、その接続端末とするPCは1台だけに限られる。

 アクセスできるPCが1台だけというのは、どう考えてもおかしいが、これがイヤな利用者には、有料サービスである「コンシュマー・ライセンス」が発行される。

  現在、グーグルは、約700万冊のデジタル化を終わらせているとしている(2008年11月現在)。その内訳は、100万点が「パブリックドメイン」で、 これは、これまでどおり無料でダウンロードできる。そして、著作権が存続中で書店で購入可能な書籍が100万点。残りの500万点は著作権によって「保 護」されているものの絶版となったか、探索不可能な書籍だ。グーグルの発行する「ライセンス」により商業利用の対象とされる大部分の書籍は、この最後のカ テゴリーに属している。

 

図書館も書店も出版社も、今後は衰退の一途

 

 はたして、図書館利用者で、「コンシュマー・ライセンス」を通じてダウンロードをする人間がどれほどいるだろうか? その人間が多ければ、図書館は彼らのライセンスフィーを持つことも考えられる。

これまで図書館や機関は、予算により書籍を購入してきたが、このグーグルのサービスにより、その一部をこちらに振り向けるだろう。とすれば、図書館は、書籍の買い入れ数を減らす可能性がある。

  次に、書店と出版社だが、グーグルの「ブック検索」サービスの影響は、じわじわと両者のクビを締めていくに違いない。書籍が紙である限り、このデジタル時 代にふさわしい形態とはいい難い。紙を、知識や情報、教養を伝える単なる「デバイス」と考えれば、それを紙にプリントする必要性はますます薄れる。

 なにしろ、グーグルにアクセスすれば、それを一瞬のうちに引き出すことができるからだ。現在のところまだ、プリントパブリッシングとE-パブリッシングは共存しているが、その比率はじょじょに「E」のほうに移っていくだろう。

 

「収益の63%著作者に還元」は著作権者には魅力

 

 ここで断わっておくが、今回の和解で、グーグルが許可なく(異議申し立て、削除要求があれば別)デジタル化できるのは、2009年1月5日以前の米国内で「絶版」と認定されるものだけだ。

 そして、グーグルのサービスにアクセスできるのは、アメリカ国内に限られる。

 しかし、私も日本の著作権者の1人だから、あえて誰も書かないことを書くが、まず、出版社の対応などどうでもよい。日本の作家で、出版社に相談を持ちかけている人間は、自分がなにをしているのかわかっていない。

 前述した「収益の63%著作者に還元」に魅力を感じるなら、この「アメリカ国内」の条項を、まず外してもらいたいと願い出るだろう。そのほうが、自分の著作がデジタル化された場合、収入を得られる可能性が高いからだ。

 グーグルが、あえて「収益の63%還元」を打ち出したのは、この条件なら、今後、黙っていても著作権者が、データベースに登録してくれると考えたからだろう。それは、1月5日以前のものに限らず、今後紙で出版されてデジタル化されるものすべてだ。

 

日本で販売されている「電子ブック」と比較してみると

 

 現在、日本の書籍もデジタル販売が行われている。

  いわゆる「電子ブック」だが、この市場が活性化しなかったのは、さまざまな障害があったからだ。まず、電子ブックは、大きく分けてダウンロード型とオンラ インで閲覧するストリーミング型の2つのスタイルがあり、ファイル形式やデータ形式もさまざまで、日本国内だけでも20種類以上のファイルフォーマットが 存在してきた。これは、まったく、ユーザーフレンドリーではない。

 そして、もう1つの大きな問題は、電子ブックがこれまで紙媒体で流通していた作品を電子化したものが大多数だったため、その複雑な権利関係をどのように処理するか、非常に面倒だったことだ。

  この権利関係に著作権が含まれるが、日本での電子ブックの一般的な印税率(この場合、二次使用とされるので「支払い率」といったほうがよい)は、定価のだ いたい10~20%に設定されている。もちろん、権利関係、作家の力などによって違うが、これは書籍の印税の取り分とそう変わらないようになっている。ま た、アナログの書籍と決定的に違うのは、書籍が刷り部数印税なのに対して、電子ブックが実売印税である点だ。

 では、この日本の電子ブックの実売印税を、グーグルのいう「収益の63%還元」と比較するとどうなるだろうか?

 残念ながら、私にはグーグルがどのようにこの還元率を算出したのか、その情報はない。そして、この還元率がなにに基づいているのか、正確にはわからない。

  ただし、和解契約を読む限り、「収益」は 英語では「revenue」になっているから、これは「得られるおカネの総額」ということになる。和解契約では、計算方法も明記されていて(4.5 (a)項、1.86項、1.87項ほか)、これを読むと、原則として総収入の63%を著作権権利者に渡す(ただし版権レジストリの手数料込み)ことになっ ている。

 

著作権者(作家)との契約を見直すときに来ている

 

 とすれば、この金額は、日本の電子ブックに比べれば、著作権者ははるかに高い「収益配分」を受け取れることになる。

 となれば、もし、グーグル「ブック検索」にリージョナル規定がなければ、日本の作家は、日本の出版社には紙出版の権利を渡し、グーグルにデジタル化権と販売権を渡すほうが絶対に有利だ。

(た だし、グーグルがいう「収益」が広告収入だけを指すことも考えられる。とすれば「ad by google」で明らかなように、その額は微々たるものである。おそらく、数ドルにもならないだろう。そうすると、以上の記述は、まったく成立しないの で、注意してほしい) 

 出版社にいる私が、あえて出版社に不利なことを書くのは気が引けるが、これは事実だ けに仕方ない。そこで、日本の出版社側の対応策を考えてみれば、作家と契約する場合に、一般化している電子出版は「二次使用」であるという条項をはずし、 紙でも電子でも同じ出版だから、著作権使用の包括的契約を結ぶしかない。そして、初めからデジタルコンテンツになるのを前提として、電子ブックと紙を同時 パブリッシングするしかない。

 そうしなければ、日本の出版社は、紙出版だけを続ける限り、この出版不況のなかで、いずれ立ちいかなくなるだろう。

 ここまで書けば、今回のグーグル「ブック検索」訴訟和解の先になにがあるのか、だいたいの輪郭が見えてきたと思う。

 ただ、この問題は、こんなことだけに留まらない。もっと大きな問題をはらんでいる。それを、この次のブログに書くので、この回はこれで終わりにする。

 

3、グーグルが独占する書籍デジタル化とコンテンツの未来

2009年4月8日

 

ソニー(SNE)がグーグルと提携し無料書籍50万冊配信

 

 引き続き、グーグル「ブック検索」訴訟和解後の未来について考える。

 まず、この問題が日本で波紋を広げているとき、 アメリカでは、ソニー(SNE)が、3月19日、同社の電子書籍端末「ソニー・リーダー」で利用可能な書籍を、現在の10万冊から大幅に増やすと発表した。

 これは、グーグルと提携して行うもので、今後、50万冊もの無料書籍を投入していくという。

 前回のブログでも触れたように、グーグルは、「ブック検索」向けのプロジェクトとして、すでに700万冊もの書籍をスキャン してデータベース化している。今回のソニーとグーグルの提携の詳細は不明だが、グーグルの発表によれば、ソニー・リーダー向けの書籍は今後さらに増やす予 定で、スキャン済みの作品のなかから、著作権が消滅しているもの(古典を中心に100万冊)を提供するという。

 となれば、これに、今回の和解の結果により、アメリカ国内で絶版と認定された書籍も、いずれ加わるだろう。もちろん、著作権があるものは有料ダウンロードとなる。

 

アマゾン「キンドル」は「キンドル2」でさらに進化

 

  それはともかく、このソニーとグーグルの提携でいちばん衝撃を受けるのは、アマゾンである。すでにアマゾン・ドット・コム(AMZN)は、「ソニー・リー ダー」をしのぐ電子書籍端末「キンドル」(Amazon Kindle)を2007年末に発売しており、2009年2月14日には、鳴り物入りで「キンドル2」を発売したからだ。

 私は、最初の「キンドル」が発売されたとき衝撃を受け、日本のアマゾンに頼んで実物を見せてもらったことがある。その後、アメリカで実際に使っている現場を見たが、これは使いようによっては画期的なメディアだと思った。

 アメリカでは、新刊書籍のハードカバーは日本よりはるかに高く、27、8ドルはする。そして、デジタル版の定価は20ドルに設定されている。それをソニー・リーダーのオンラインストアは、ベストセラーに限って16ドルで売っていた。

 そこに、キンドルが登場し、ソニーのオンラインストアが売っていたものを9.99ドルにしたうえ、ニューヨークタイムズなどが無料で読めるようにしてしまったのだから、ソニーの劣勢は明らかになった。

 その「キンドル」が「キンドル2」で、さらに進化した。最初のバージョンから比べると、デザインもよくなり、軽量でコンパクトになった。また、厚さも薄くなり、スクリーンも明瞭になった。ダウンロードできる書籍数も当初の10万冊からずっと増えて、23万冊になった。

 また、今後のサービスとして「キンドル2」で買った本は、いずれほかの携帯デバイス(たとえばiPhoneなど)で読めるようにするというのだから、ジェフ・ベソフとしてはしてやったりと思っていたはずだ。

  しかし、そこにグーグルの巻き返しである。すでにグーグルは、「ブック検索」にあるデジタル書籍で著作権侵害問題のないものを、iPhoneやグーグルが 開発したアンドロイド・プラットフォームのスマートフォン用に公開すると発表していたが、さらに、ソニーとも提携したのである。

 そして、今回の「ブック検索」訴訟の和解が成立すれば、そのストックの多さからいって、アマゾンはまったく歯が立たなくなると思われる。もはや、書籍のデジタルデータベースをグーグルが独占するのは、間違いない。

 

著作権ができた当初からパブリックドメインはあった

 

  そこで、ここで、グーグルのような一私企業が、書籍のような人類の公共財を独占していいのか、文化史的に考えてみたい。どんな考え方に照らしても、近代の 民主主義社会では、公共財の独占は許されない。公共財というより、英語でパブリックドメイン(public domain)としたほうがいいが、それは、“Free to All”(万人に開放)されていなければならない。

 だから、著作権というのは、著作者(クリエーター)のクリエイティブな活動を保護しながら、なおかつ、それを実現させなければ意味がない。つまり、著作者の権利ばかり守るのが、著作権の本当の主旨ではないのだ。

 著作権の誕生は、1709年にイギリスで誕生した「アン法」(アン王女の法律)とされるが、この法では、著作権の有効期間(著者の死後14年、1回のみ更新)が初めて設定された。 

 その後、これは28年になったが、現在から考えると、短いと思われるだろう。   

 「アン法」の目的は、それまでの出版社がもっていた絶大な力に制限を加えることにあったが、一方で「教育を鼓舞する」こともあった。つまり、教材としてのパブリックドメイン的な考え方が、すでにこの時代からあったのだ。

  しかし、商業主義全盛のいま、アメリカでは、著作権は著作者が存命中存続し、さらに没後も70年間続く。これは、1998年のソニー・ボノ著作権延長法 (別名「ミッキーマウス法」)が成立したからだ。これで、パブリックドメインになるところだったミッキーは、さらに20年間ディズニーが独占することに なった。

 

優先されるべきは個的利益よりも公共の利益

 

 アメリカ合衆国憲法、権利章典(Bill of Rights)修正第1条(Amendment I) は、「信教、言論、出版、集会の自由、請願権」を述べているが、そのくだりは、次のようである。

 《合衆国議会は、国教を樹立、または宗教上の行為を自由に行なうことを禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、ならびに、市民が平穏に集会しまた苦情の処理を求めて政府に対し請願する権利を侵害する法律を制定してはならない。》

 ここにある「言論または出版の自由を制限する法律」に、ミッキーマウス法が抵触するかどうかは、解釈の分かれるところだが、その期間の長さからいって、明らかにパブリックドメインを無視していないだろうか?

 いずれにせよ、著作権というのは「一定期間」のみしか認められず、「学術および技芸の進歩」「文化の発展」などという上位概念の下に位置しなければならない。

 つまり、著作権者は、その創造的活動の結果産み出したコンテンツに関して、正当な報酬を獲得する権利はあるが、優先されるべきは個的利益よりも公共の利益である。

 

ブロードキャスティング・モデルの衰退が招くこと

 

  さて、ここで話は飛躍するが、現代は、著作権者が受難の時代である。それは、インターネットの登場により、それまでのブロードキャスティング・モデルが通 用しなくなったからだ。 ブロードキャスティング・モデルというのは、誰かがコンテンツ(出版の場合は本)をつくり、それをマーケットに流すことで広まっ ていくというかたちだ。つまり、発信源は1点であり、到達点が多数であるという構造になっている。既存メディア、出版も新聞もテレビも、すべてこのかたち である。

 しかし、インターネット(ウェブ)のなかでは、複数の送り手から複数の受取り手に情報が行き交い、ウェブの進展により、このかたちがさらに複雑化してきている。これがネットワーキング・モデルであり、デジタルコンテンツは、このネットワークのなかに存在する。

 では、このようなネットワーキング・モデルが主流になると、なにが起こるだろうか?

 それは、前述した著作権の崩壊であり、さらに出版や新聞などの紙媒体の崩壊、ひいては、そうしたものを伝達するための流通制度までが、崩壊する。

 

著作権者(クリエーター)の生活は苦しくなるばかり

 

 簡単に言うと、ネットの世界は、たいてのコンテンツがタダである。グーグルは、現在のところ、100万冊のパブリックドメイン書籍をフリーにしている。これは当然だが、今後、その数はどんどん増えるだろう。これも当然だ。

 となると、ますます、ネット上のコンテンツはフリーということになり、これに、ファイル交換ソフトやYouTubeなどの進展が加われば、たいてのものは無料で手に入れることができるようになる。

 実際、いまや違法コピーはし放題で、ブロードキャスティング・モデルが提供する、本、CD、DVD、ゲーム、ソフトウエアなどに、おカネを払う人間は少なくなった。

 中国に行けばわかるが、日本でン十万円するAdobeのソフトなど、たったの100円か200円である。

  これでは著作権者(クリエーター)はたまらない。しかし、一般大衆はそんなことには無頓着で、キチンと買えば高価なコンテンツを、いかにタダで手に入れる かに熱中し、それが、なにを招くかにには関心がない。つまり、それは、著作権者にはおカネが入らないということであり、その結果、「学術および技芸の進 歩」「文化の発展」もなくなってしまうということだ。

 すでに、レコード会社にも映画会社にもアニメ・プロダクションにもゲームメーカーにも、以前ほどのおカネが入らなくなり、著作権者(クリエーター)の生活は苦しくなっている。

 

これまで著作権者は20世紀型大衆文化でオイシイ思いをしすぎた

 

  しかし、私は、これは仕方がないと、最近思いはじめた。というのは、デジタル化というのは誰でもコピーができるということであり、いまのデジタル技術で は、コピーとオリジナルの差などないからだ。そして、これまで著作権者は、ブロードキャスティング・モデルが発展した20世紀型大衆文化にあぐらをかい て、オイシイ思いをしすぎてきたからだ。

 はたして、20世紀に大量生産されたコンテンツが、どれほど、「学術および技芸の進歩」「文化の発展」に役立ったかは、誰も検証できないだろう。

 

カメラマン、デザイナーはもう必要ない

 

 著作権ができる以前、著作権者たち、つまり、作家や画家や音楽家は、どのように生活をしていたか考えてみればいい。本を書き、絵を描き、曲をつくり、歌を歌うだけで暮らせただろうか? まして、自分のことで恐縮だが、職業ジャーナリスト、職業エディターなどいなかった。

 20世紀の大衆文化は、ブロードキャスティング・モデルによって大発展し、それを支える多くの職業を生みだした。しかし、いまやネットワーキングの時代であり、そういう人々の多くは必要なくなった。

  カメラのシャッターを押す技術(言い過ぎか)だけで、有名カメラマンとなると高額のギャラをもらった。しかし、いまやデジカメ写真とPhotoshopが とって代わった。商業デザイナーは、字体や色を決めレイアウトするだけで、多額のギャラを手にした。出版でいえば、たかがカバーデザインをするだけで、1 冊100万円ものギャラを取るデザイナーもいた。しかし、illustratorやIndesignがあれば、そんな人間は必要ないのだ。

 

職業的クリエイターを続けたいななら今後は、スポンサーを探せ

 

 もう、いい加減、旧来の商業メデイアのなかでの、プロごっこは止めるときにきている。ニセモノのプロに高いおカネを払う必要はない。すべてのクリエイターが一律同じ著作権を持ち、それを主張する時代は終わったと思うべきだ。

 ネットは、その点、公平だ。99%がクズコンテンツ、コピーであろうと、みな、おカネにならないのにやっている以上、本当の才能ある者が生き残るはずだからだ。

 あるいは、資金が続く者、時間がある者だけが、生き残る。

  もう一度、自分の職業でいえば、この先、ブロードキャスティング・モデル内において、旧来の職業エディターが生き残るとは思えない。同じく、職業記者や職 業ライターも生き残らないだろう。作家も同じだ。結局、職業的クリエイターを続けたいななら、今後は、スポンサーを自分で探し、その援助のもとに、音楽、 文学などの芸術活動からジャーナリズムまでをやるしかないだろう。

 著作権のない昔は、そうだったのだから、これは荒唐無稽な話ではない。その結果、「学術および技芸の進歩」「文化の発展」が衰退するとは思えない。

 以上が、グーグル「ブック検索」訴訟に端を発した問題に対する、私の「とりあえずの見解」だ。いつも思うが、時代はどんどん先に進んで行く。しかも、そのスピードが増している。そして、1度進んだら、もうあとに戻ることはない。

 

4、 バカと暇人しかいない「低度情報化社会」の生き方

2009年4月12日

 

誰もが思う「とかく著作権は面倒臭い」


 グーグルの「ブック検索」和解問題については、これまで3回にわたって書いてきた。しかし、まだすっきりしない。
 というのは、この問題を突き詰めていくと、必ず著作権の問題に突き当たるからだ。すでに何度か述べたが、現行の著作権を尊重すればするほど、それを使うときには大きな不自由が生じる。

 私を含めて、出版社、新聞社、テレビ局、映画会社、ネット配信業者など、メディアの現場にいる人たちは、みな同じように感じていると思う。
 それをひと言で言うと、「なんて面倒臭いんだ」ということだ。



マンガ1つでもその権利は複雑に絡み合う

 

 たとえば、マンガをドラマ化するとき、そのマンガの著作権がどのようになっているかをまず確認しなければならない。ふつうに考えると、原作者と漫画家が著作権を持っているから、この2人に許諾してもらえればいいとなる。
 しかし、人気マンガの製作には、編集者が大きく関わっており、ストリーのアイディアを出したり、出版社が取材費を出したり、場合によっては出版社が売れない頃から漫画家を育てたりしているから、単にこの2人に著作権の話をすればいいというものではない。

 また、漫画家によっては、映像化の権利をすでにどこかの会社に渡してしまっていたり、また、出版社にその権利を預けていたりする。さらに、キャラクターの商品化の権利、ネット配信の権利はどうなっているのかなど、あらゆることが絡んでくる。



ジャニーズドラマがネット配信される日は来るのか?



  マンガでこうだから、映像となるとさらに複雑だ。たとえば、テレビドラマの再放送は、原作者から出演者にまで権利関係に基づいてギャラが支払われるが、こ の権利関係はそうとう面倒臭い。もし、出演者のタレントのプロダクションがOKしないと、そのタレントの出演場面をカットしなければならないし、そのタレ ントが主演級なら、当然再放送できない。
 ドラマの再放送でこれだから、ネット配信となると、さらにややこしくなる。

 ジャニーズ事務所は、タレントのイメージ管理にとくに厳しい。その結果、ジャニーズのタレントの出演ドラマは再放送がきつく、ネット配信となるとさらにきついというのは、よく聞く話だ。
 ついこの前まで、ネットをいくら検索しても、ジャニーズのタレントの顔写真は見つからなかった。はたして、今後、ジャニーズドラマがどんどんネット配信される日が来るのだろうか?
 
 また、ユーザー側からいっても、たとえば、自分で録画した地デジの番組をiPodに移して見ることができない。ケータイで買った音楽は、機種を変更したら全部捨てなければならないなどの不自由さがある。

 これも、また、著作権絡みの権利関係が複雑だからだ。



1つのモノには1つの権利、「一物一権主義」が決め手


  著作権というとわかりにくので、ここで話をリアルの世界に変えてみる。たとえば、ある場所(土地)を有効利用したいとする。すると、その場所(土地)をま ず買収しなければならないが、権利関係が複雑だと、なかなか進まない。まして、地権者が山ほどいて、さらに、すでに建物も建っていて居住者までいるとした ら、かなり難しい。
 だから、バブル期は「地上げ屋」が重宝された。

 これは、土地ばかりか、どんな流通でも同じだ。1つのモノには1つの権利、「一物一権主義」でないと契約自体が発生せず、モノは流通しない。つまり、いまの著作権法に守られた権利者が多すぎると、せっかくのコンテンツも流通しなくなる。
 だから、いま必要なのは「著作権の地上げ屋」だが、それよりもまず、著作権自体を時代に合わせて変えていくしかないだろう。



許諾権ではなく報酬請求権に置き換えるべき



 では、どう変えていったらいいのか? 
 それは、「著作権」の運用を、許諾権ではなく報酬請求権に置き換えることだ。

 じつは、日本でも産学官で形成する「デジタル・コンテンツ利用促進協議会」というものがあり、ここで、試案作りが進められている。
 その方向は、権利処理のための団体(音楽著作権を管理するJASLACのようなもの)をつくる。そして、権利者は、1つのコンテンツに対して必ず1人の管理者(許諾者)を決める、というようなことだ。

  前述したように、現在のネックは、1つのコンテンツに複数の権利者がいて、その権利が複雑化していることだから、それらを束ねて一括管理・運用できるよう にすべきなのだ。そして、著作権法を契約によってバイパスし、コンテンツの利用を許諾権方式から、報酬請求権方式へ転換してしまえばいいのである。

 著作権というのは、権利者自身が訴えることで初めて機能する。ということは、契約書のなかに著作権の法的権利よりも契約を優先するという条項を入れてしまえば、権利者がそれぞれ権利を訴えることによる混乱を避けることができる。



グーグルは利口、管理・運営団体をつくってしまった



  ここで、グーグルに話を戻すが、グーグルが今回の「ブック検索」和解でやったことは、まさに、こうした動きを先取りしたことだ。もちろん、これは米国の作 家・出版社の訴えが、クラスアクション(集団訴訟)であったことが原因だが、結果的に、デジタル化による著作権の管理・運用を一括してできる団体「版権レ ジストリ」ができてしまった。


 いま、日本の作家、漫画家、ミュージシャン、タレント、あるいは出版社からプロダクションまで、みな自分たちの権利を主張し合っているが、
そんなことをくり返していると、自分たちのクビを締めるだけだ。
 著作権自体も、そして権利者(クリエイター)自身も、もはや変わらざるを得ないところまできている。グーグルを見れば、抵抗してもムダだということがわかる。



バカと暇人しかいない「低度情報化社会」を生きる道



 最近、光文社新書から出た『ウェブはバカと暇人のもの』(中川淳一郎・著)を読んで、拍手喝采した。「そうだそのとおり」と、1つ1つエピソードを読みながら、思わず納得した。
 かつて、ペーパーバックスでも『低度情報化社会』(コモエスタ坂本・著)という本を出したが、趣旨は同じだ。

  ウェブは、限りない可能性を秘めた世界だが、その実体はまったく逆で、ネットの宝を使えいこなせる人はほんのわずかしかいない。多くのネットユーザーは、 ジャンク情報を面白がり、ゴミのような意見をブログで公表し、意見とはいえない思いつきを交換しているだけだ。つまり、バカはバカのことしか理解できず、 バカとしか交信できない。
 だから、「高度情報化社会」なんてとんでもなく、「低度情報化社会」である。ウェブにはバカと暇人しかいないのだ。

 しかし、そうした人々が大量に生息する世界に、コンテンツのクリエーターも入っていかねばならない。そのなかで、プロとしての自分のコンテンツを流通させていかなければならない。これが、いまの時代だ。
 そのことを思うと、著作権を主張し合っているプロと呼ばれる人々は、もっと利口になるべきではなかろうか。