総発行部数は減っているにに新刊点数は増加 今回は、現在の出版界の大きな間違いについて記す。それは、なぜ、ムダだとわかりながら、新刊を湯水のごとく出し続けるのだろうかということだ。この8月から編集現場を離れてからは、よけいにそう思うようになった。 現在の出版不況下で、こんなことを続けていたら、ますます泥沼にはまるだけだろう。
出版ニュース社が発行する『出版年鑑2009』によると、書籍の総発行部数は、1997年の15億7353万冊がピークである。当時の新刊点数は、約6万2000点。以後、発行部数は年々減り続け、昨年(2008年)は14億703万冊にとどまったが、新刊点数は逆に増加を続けてきた。 出版市場の規模は、1996年をピークに縮小しているにもかかわらず、新刊本は、絶え間なく点数を増やし続けてきたのだ。6万点が7万点になり、数年前についに8万点に達した。 そして、この2年ほどは微減となっているが、8万点台を割っていない。これは、毎日、200点以上もの新刊本が、出版社から書店に届けられているということである。 部数低下でいくら売れても採算が取れない状況に こんなに大量に新刊本が発行されると、なにが起こるかは明白だ。 本の命が圧倒的に短くなる。既刊本が店頭に滞留する期間が圧倒的に短くなる。売れなければ即返品。書店によっては、搬入された本の梱包を解かずにそのまま返品してしまうなどということが起こる。 本来、本というのは長期的なメディアのはず。それが、本の価値でもあるはずだ。しかし、いまや、出版社も書店も「売れるもの」だけを追求し、本は単なる短期的な消費グッズ、消耗品に過ぎなくなってしまった。 ちなみに、新書ブームなどと言っているが、現在の新書は昔の新書と違って、短期的な売上げを狙った消耗メディアである。 新刊点数の増加はいつ止まるのだろうか? そしてもう1つ。新刊点数が増えたことは、1点当たりの発行部数の低下が起こったということだ。市場が縮小しているのだから、本全体の総発行部数は頭打ちになる。そのなかで、新刊点数だけ増やしていけば、当然、1点当たりの発行部数は減る一方となる。 これは、小学生にだってわかることだ。 3、4年前なら1万部以上が間違いなく想定できた新書の企画は、いまは1万部がやっと。場合によっては、8000部、6000部まで落ちた。じきに5000部を割り込むのも時間の問題だろう。
もはや、1冊の本の部数は、全部売れても採算が取れないところまできている。どう考えても、損益分岐点割れなのに発行されている本も珍しくなくなった。こうした悪循環は、年々高まる返本率の上昇とともに、出版社の経営を圧迫し、ひいては出版業界全体の経営を疲弊させてきた。 それなのになぜ、こんなバカげたことを、誰も止めようとしないのだろうか? 毎月ノルマが決まっていれば、質が落ちるのは当然 新刊書というのは、出せば出すだけ、よほどのヒットを飛ばさなければ損をする。ヒットが5冊に1冊の割合で出るならなんとかなるかもしれない。だから、なんとかヒット、あわよくばホームランを狙って打席数を増やしたいというのは、理解できなくもない。 しかし、8打席、いや10打席連続三振なんてことも、ザラなのである。これは、私の経験から間違いなく言える。
そこで、本をつくってきた側の立場から言わせてもらえば、「毎日追われるようにつくっている本なら、出さないほうがマシ」「出さない選択のほうがよほど賢い」ということになる。編集者というのは、売れる本より、いい本(社会的に意義のある本、価値のある本)を、納得の上で出したいものだ。そして、それが売れてくれて、つまり、社会に価値を認められて、初めて報われた気持ちになる。
それが、毎月ノルマを課せられ、いつまにか打席数が増えてしまうと、もうそんなことは言っていられなくなる。ともかく、当たる本をということで、本のクオリティは落ちていく。時間をかければいい本が出せるとは限らないが、少なくとも企画段階から2、3カ月では、いい本は出せない。 それがわかっているから、「もうこんなに出すのは止めようよ」と、私は何度も言った。 しかし、それを聞いてくれる人間は、中堅以上の出版社にはほとんどいない。
大手では、本の刊行点数は、ほとんどノルマ化してしまっている。本のように1冊1冊が違う商品に、そもそもノルマがあるなどということがおかしいはずだ。しかし、そんな当然のことはとうの昔に忘れられ、編集部ごとに売上げで前年を上回れと経営サイドは叱咤激励するから、刊行点数はどんどん増えてしまった。 販売関係部署も点数増に加担する。それは、出せばそのときに売上げが立つからだ。いずれ山のように返品が帰ってくるのに、目先の前年比クリアに追われ、本はどんどん供給される。 「○周年だからフェアをやりましょう」という読者無視販売 いま書店に行くと、中小版元の本が平台に並んでいることは少ない。 中堅以上の出版社による本が、山のように積まれている。これは、各社の平台の取り合いの結果で、いい本悪い本に関係なく、供給されたものが並んでいるだけだ。 出版社は、このスペースを確保するために、ただただ点数を増やすような状況になっている。
出版社の販売部と販促の仕事は、この平台と棚の確保である。そのためにはブツ(本)がなければならない。そこで、彼らは「○○は今度5周年ですから、5周年フェアをやりましょう」などと編集に言ってくる。フェアをやれば供給量を増やせ、平台と棚の確保ができるからだ。 しかし、たとえば、「××ブックス」「△△新書」が何周年を迎えたからといって、誰がそのことで本を買うだろうか? 本は1冊1冊が違う商品であり、何周年だからといって読者が喜んで買うと考えるのは、あまりにもバカにしている。 それで、私はフェアだけはやらない方針を立てた。 取次会社の無策と、書店数の減少で新刊が並ばない さて、本を書店に供給するのが、流通業者である取次会社だが、彼らは、こんな状況のなかで、なにをしているのだろうか? 結論から言えば、ほぼなにもしていない。流通の効率化を図るばかりで、それ以外のことはほぼなにもしていないと言っても過言ではない。彼らがしているのは、書店を売り上げや売り場面積などによってランク付けし、そのうえで新刊の配本数を機械的に決めるという、実にわかりやすいことだけだ。ここには、なんのアイデアも知恵もない。
その結果、新刊書1点当たりの発行部数が少なくなるにしたがい、たとえ新刊でも中小書店には届かないということが起こってきた。この傾向はますます加速化し、最近では、配本が都市部の大型書店に偏りすぎて、地方の中小書店には新刊本が並ばなくなった。 もっとも、すでに、地方中小書店は壊滅状態にあり、2万939店あった全国の書店数は、2006年段階で1万7098店に、2008年には1万6000店を切るところまで減少している。 書店数はどこまで減少するのだろうか? いまの書店に「カリスマ書店員」などいるわけがない そこで、「書店が配本に頼らず、自分たちの判断で欲しい本を仕入れて売るやり方に変えていったほうがいい」という意見が出されている。 しかし、大型店化した書店に、そんな判断ができるだろうか? いま、いちばん本を読まないのが、バイト店員がほとんどになった書店員だ。彼らが、自分たちのオリジナルな売り場をつくれると考えるほうがおかしいと、私は思う。 数年前に、書店員が選ぶ「本屋大賞」という賞ができた。 これは、「本のことなら書店員がいちばん知っている」という幻想に基づいている。私の経験から言えば、カリスマ書店員などいう人物に出会った試しがない。昔から何十年もやっている書店主なら別だが、現代の書店にいるのは、本のことなどなにも知らない短期雇用の書店員ばかりだ。
このように、もはや、本の現場はにっちもさっちもいかなくなっている。そこに、デジタルメディアへの移行が重なり、もはや解決策などない状態だ。したがって、こうしたことから言えるのは、縮小する市場においては、出版社も流通も書店も、ダウンサイジングするしかないということだ。 デジタル市場に移行しない限り、いかにスマートにダウンサイジングしていくか。それが、唯一の生き残り策だろう。 ただし、プリントメディアの市場収縮が、どの段階で止まるかは誰にもわからない。というより、止まる可能性はほとんどないだろう。
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