メディアの未来[001]ブロードキャスティング・モデルの崩壊 印刷
2009年 2月 02日(月曜日) 01:28

■ブロードキャスティング・モデルの崩壊

 

なぜ、ブログを書こうと思ったのか?

 私は、ついこの前まで、ウエブ上で レポート(ブログ)を書こうとは思わなかった。編集者生活が忙しく、そんな時間がなかったこともあるが、じつはネットには、あまり興味がなかった。ネット の可能性は信じていたが、そのなかでどうふるまったらいいのかも確信が持てなかった。

 しかし、いまやそんなことは言っていられないと思うようになった。


 このレポートのテーマを「メディアの未来」としたのは、そんな私の率直な気持ちの現れだ。なんといっても、現在、既存メディアのなかで仕事をしている以上、それ自体が今後どうなっていくのかは、この私自身がいちばん知りたいことだからだ。


 いま、私自身が漠然と思っているのは、おそらく、あと数年、いやもっと早く、新聞、出版、テレビのような既存のメディアは崩壊するということである。すでにその兆しはある。

 すでに、アメリカでは、新聞ビジネスはほとんど崩壊していて、最近では、「『クリスチャン・サイエンス・モニター』紙が紙を捨ててウエブ版に移行」「新聞大手トリビューンが経営破綻」など、紙媒体の相次ぐ危機が起っている。

 この日本でも、最近では、「朝日新聞が赤字に転落」「日本テレビが上四半期で赤字を計上」「ネット広告が雑誌広告を逆転」などということが報道された。

 じつは、私が仕事をしている出版界でも、大手から中小にいたるまで業績の悪化ははなはだしく、軒並み赤字を計上している有様だ。

 要するに、本も雑誌も売れないのである。

 

いまは本当にメディアの危機なのだろうか?


 だから、最近の報道はといえば、「紙媒体の危機」とか「出版不況」とか、あるいは「活字離れ」とかいう見出しばかりで、記事はどれも危機感が露に表明されている。

 しかし、これは、本当の危機なのだろうか?

  確かに、日々赤字を積み上げていく現場にいる私から見れば、紙媒体は危機である。ただ、それは、そうした現場にいるから危機なのであって、メディアの受取 手(つまり読者や視聴者)から見れば、危機でもなんでもなんでもないのではないか? これが、まず、私が言いたいことだ。


 現在、イン ターネット(ウエブ)では、既存メディアである新聞、雑誌、本も読め、テレビも視聴できる。音楽もダウンロードできるし、映像ファイルも交換できる。個人 ブログにアクセスしたり、SNSのコミュニティに入れば、マスメディアが取り上げない情報も得られるし、映像も手に入る。

 しかも、そのほとんどは、タダで手に入る。さらに、ネットの世界では、情報の送り手は必ずしもプロとは限らない。したがって、送り手がほとんどプロという既存メディアから見れば、自分たちのコンテンツの価値が下がるので、これは明らかに危機である。


 しかし、それを使い、楽しむ側から見れば、むしろ選択肢が広がり、こんな面白い時代はない。ユーチューブなどその典型で、こんなに自由に、世界中の映像を楽しめる時代が来るなど、私は考えもしなかった。

 つまり、ネットをメディアとして捉えれば、どこにも危機など存在しないはずである。

「活字離れ」など起っていない


 それなのに、こうした流れを「危機」と解釈し続けているのが、他ならぬ「紙媒体」自身なのなだ。これは、明らかに読者のミスリードだ。

 また、「活字離れが進んでいる」「ネットに読者を奪われている」などと言っている識者がいるが、彼らはどこを見ているのかと思う。

 というのは、活字離れなど起ってはおらず、むしろ、ネット、紙媒体を合わせて、視聴者や読者の活字に接する時間は飛躍的に増えているからだ。さらに、ネットと紙媒体は競合関係にあるのではなく、むしろ親和性が強い。

 たとえば、本を買うのでも、ネット検索して書店に行ったり、通販で注文したりすることを考えれば、競合などしていない。一部に、「ネットで公開してしまえば本は売れなくなる」などの意見もあるが、これは、大筋において間違っていると思う。


 では、ここで話を整理しよう。


起っているのは[ブロードキャスティング・モデル」の崩壊


  現在、起こっているメディアの衰退は、既成メディア(新聞、テレビ、出版)という「ブロードキャスティング・モデル」の崩壊であって、メディア全体の危機 ではない。それは、メディアというものが「ネットワーキング・モデル」に変っていくプロセスに過ぎない。つまり、メディア全体を、それを必要とする社会、 視聴者、読者から見れば、危機などどこにも存在しないのだ。

 ブロードキャスティング・モデルというのは、誰かがコンテンツをつくり、それをマーケットに流すことで広まっていくというかたちだ。つまり、発信源は1点であり、到達点が多数であるという構造。

 既存メディアは、すべてこのかたちである。しかし、インターネット(ウエブ)のなかでは、複数の送り手から複数の受取り手に情報が行き交い、ウエブの進展により、このかたちがさらに複雑化してきている。

 しかし、紙媒体(プリント・メディア)にはこの機能がない。あくまで、ブロードキャスティング・モデルなのだ。

 だから、ウエブのようなネットワーキング・モデルに、ブロードキャスティング・モデルはかなわない。


世界大不況と既存モデルの崩壊の2つに直面

          
 2008 年9月のリーマンブラーザーズの破綻を契機にして、世界は大きく変わりつつある。これまでの資本主義のシステムが機能しなくなり、それにともない、民主主義も変質を迫られている。
 

 ということは、20世紀に民主主義の拡張とともに発展してきた既存のブロードキャスティング・メディアも、今後は大きく変 わっていくはずだ。これに、ネットというヴァーチャル世界の進展が、追い打ちをかけ、既存メディアに変化を強要しているというのが、現状であろう。


 ブロードキャスティングの時代は終わり、ネットワークの時代がやってきたことは、もはや疑う余地はない。そして、現在、既存メディアの経営は、2つの大きな波に直面してもがき苦しんでいる。


  ひとつは、前記したように、リーマン破綻以後の世界大不況である。金融危機などと言っているが、本質は既存の資本主義のシステムチェンジであり、これがう まくいかなければ大恐慌になる可能性すらある。つまり、既存メディアも、ほかの業種の企業と同じく、不況の波をもろに被る。

 そしてもうひとつは、既存メディアのブロードキャスティングというビジネスモデルが、もはや通用しなくなっているということだ。新聞も雑誌も本も売上げを落とし、頼みの広告収入も激減している。

 つまり、既存メディアは、この2つの波を乗り切らなければ、明日はない。

 

最終更新 2010年 1月 07日(木曜日) 02:16