メディアの未来[002]「紙」はたただのディバイス、危機はチャンス |
2009年 2月 03日(火曜日) 16:53 |
■ 「紙」はただのディバイス、危機はチャンス
出版市場は5年以内に、半減するだろう
最近の出版界は暗い話題ばかりで、業界人が顔を合わすと「本が売れない」「雑誌はメタメタ」「春以降の広告が取れない」という話ばかりだ。 もちろん、どの業界も、世界不況の影響でいい話はないが、出版界は、長期低落傾向が続いてきたうえに「紙離れ」が拍車をかけて、今年は、書店や中堅出版社がバタバタと行くのではと、みな不安がっている。 先頃、出版科学研究所が発表した、2008年度の出版統計によると、2008年出版物販売額は3.2%減の2兆177億円。なんとか、2兆円の大台を割り込まずにすんだが、今年は大きく割り込むのは間違いないだろう。
金融危機が起こってから、とくに雑誌の落ち込みはひどく、今年中に何誌が休刊(廃刊)になるかわからない状況だ。私のところにも、その具体的な雑誌名が聞こえてくるが、その数はゆうに十誌を超えている。 本や雑誌が売れなければ、書店はもっと苦しい。出版社より早く経営は悪化していく。 たとえば、文教堂チェーンは、1月16日に、今年閉店予定の店舗数を14から32店舗に増やし、100名の人員整理(希望退職)をする経営再建計画を発表した。 もう何年にもわたって、地方の中小書店は経営難で、年間平均1000点余りが、店じまいしている。 全国の書店数の推移を見ると、ここ10年間で6000店前後の書店が減少している。
2001年20,939店 2002年19,946店 2003年19,179店 2004年18,156店 2005年17,839店 2006年17,582店 2007年16,750店
これでは、もはや、出版は、かつてレコード会社がたどったように、書店の減少とともに消えていく運命にあると言うしかない。 「いや、本はなくならない」と強弁する業界人は多いが、そんなことは当然で、市場がどれくらいの規模になるかが問題だ。 私の予想では、この低落傾向は加速化するから、5年以内に半分の規模、1兆円市場になるのは目に見えている。
デジタルネイティブの登場で「紙」はすたれる
ここで、ここ十年余りの出版市場をふり返ってみると、出版界の売上がピークだったのは、1996年で2兆5980億円。以後、毎年約2%ずつ減少してきたが、最近では5%以上の年もあり、今後は10%を超えると思われる。 雑誌をみると、月刊誌・週刊誌ともに1997年にピークを迎え、以後毎年、前年割れとなっている。インターネットや携帯電話といったオンラインメディアとの競合で、定期購読率が大きく低下し、広告でもオンラインメディアに抜かれてしまった。とくに、週刊誌は、月刊誌よりも刊行サイクルが早いため、定期購読率の低下がより顕著に現れている。 いまの若者は「デジタルネイティブ」と言われるように、活字を紙でなく、オンラインで最初に見る。これに慣れると、紙の方がかえって読みにくいということが起こる。 とくにマンガは、いまや完全にデジタルに移行し、大部数を誇った週刊少年コミック誌の低落は著しい。 2005年に、コミックス(単行本)の販売額がコミック誌のそれを初めて上回ったが、以後、その差は拡大する一方だ。コミックスは、映画化・テレビ化などのメディアミックス作品以外は売れなくなった。 ただ、コミックは携帯電話を中心としたオンライン化がもっとも進んでいるので、ここに、出版社としての未来が垣間見えると言っていいかもしれない。
「紙」はただのディバイスに過ぎない
そんなわけで、ここで真剣に考えなければいかないのが、「紙媒体」とはなにかということだろう。 「紙媒体」というのは、考えてみれば、紙に活字を印刷しているだけで、「紙」自体は、活字によって表現される情報、知識、教養、娯楽を運ぶ「装置」(ディバイス)に過ぎない。 したがって、このディバイスがなくても、読者にダイレクトにそれを届けられるなら、紙は不要となる。これを実現させたのが、ネット(ウエブ)であり、ネットに接続できるPC、PDA、携帯電話(ケイタイ)などの電子ディバイスが読者にあれば、紙はどんどん必要でなくなるのは、仕方ないことだ。 それなのに、なぜ、現在も紙媒体が存在しているかといえば、利便性(いつでもどこでも読めて、持ち運びやすい)が、電子ディバイスより、まだ紙が優っているからだ。 また、活字を紙で読むという習慣性が残っていることも、まだ新聞、雑誌、本が続いている理由だろう。 しかし、それは旧世代の習慣であり、デジタルネイティブは「ウェブ・ファースト」だ。 すでに、映像、音楽の分野では、既存のディバイスであったビデオ、DVD、レコード、カセット、CDなどは、ほぼなくなったか、今後なくなりつつある。紙もこの運命をたどるのは、間違いないだろう。
「紙」がなくなったら誰が困るのか?
ただ、問題なのは、そのプロセス。 現在まで、紙に代わる電子ディバイスが開発され、電子新聞、電子雑誌、電子書籍が生まれたが、いずれも失敗してきた。その点では、まだ紙は優位性を保っている。昨年、鳴り物入りで発売されたアマゾンの「Kindle」(日本未発売)も、まだ、紙の優位性に追いついていない。 しかし、このようなディバイスがさらに進化すれば、紙が次第になくなっていくのは間違いない。 これまで、電子出版はことごとく失敗してきたが、今後はわからない。さらに、PC、PDA、ケイタイはディバイスとしてもっと進化するはずなので、早晩、紙の優位性は失われると考えるべきだ。 もし、そうなれば、「紙」はもとより、印刷、取次、書店も、加速度的に消えていく
「100年1度の危機」は、「100年1度のチャンス」
ただし、くり返すが、これは「メディアの危機」ではない。 紙が失われたとしても、情報を消費する読者にとっては、なんの不都合も起らないからだ。また、それをつくる送り手、コンテンツ制作者にとっても、紙以外のディバイスを使えばいいことで、危機とは言えない。 だから私は、最近、業界人が悲観論ばかりとなえるのが、府に落ちない。 紙の出版にさいして言えば、紙がダメになったからといって、情報の送り手も受け取り手も困らない。困るのは、紙媒体だけで収益を上げているメディア企業と、それを流通、販売させている業者だけにすぎない。 そう考えれば、出版の危機は、本当は大チャンスではないかと思う。「100年1度の危機」は、「100年1度のチャンス」なのではないだろうか。
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