G1予想[167] 第67回 朝日杯フュチュリティS(2015年12月20日) |
2015年 12月 17日(木曜日) 14:57 |
ボールライトニングとシャドウアプローチの馬連1点 母は秋華賞を制したエアメサイア、父はキングカメハメハ。前走のデイリー杯の勝ち方は余裕十分で、追えばまだまだ伸びるという感じだった。これでは、エアスピネルに人気が集中しないわけがない。しかも、今回と同舞台の新馬戦を好時計で勝っているうえ、鞍上は武豊。ここを勝てば中央競馬の平地G1・22競走完全制覇の偉業が達成されるというおまけまで付いてくる。 というわけで、間違いなく、多くの競馬ファンはこの馬を外せない。この馬を絡めて馬券を買うことになる。つまり、このレースのテーマは、1本かぶりレースの常として、エアスピネルを買うかどうかにかかっている。これは、簡単な話、丁半博打である。確率50%、2分の1ということだ。
そこで聞きたい。競馬で丁半博打をやって、はたして面白いだろうか? 紅白歌合戦で、「赤が勝つか白が勝つか」になにか意味があるだろうか? ルーレットで「赤か黒か」も当てられないことを思えば、丁半博打というのは、もっとも体と精神に悪影響を及ぼすギャンブルである。 したがってここは、丁半博打から降りて、エアスピネルが出ていないとして、好き勝手に買うのが、もっとも体と精神にいい買い方だと、まず言っておきたい。
さて、朝日杯となると思い出すのは、1976年の勝ち馬マルゼンスキーである。当時、私は出版社の新人社員として週刊誌に配属されて半年経ったばかりで、無我夢中で仕事を覚えていた。ただ、入って驚いたのは、週刊誌の編集部というのは、博打好きばかりだということ。当然、編集者や記者の多くが、毎週、「ああでもない、こうでもない」と編集作業の合間に競馬談義に花を咲かせていた。 そんな中、先輩編集者の一人が、「今週はマルゼンスキーで鉄板だ」と言った。 「鉄板?それってなんですか?」「なんだ、おまえ、鉄板を知らないの?」「はあ」「絶対来る、間違いなく来るってことだ」「なんだ、堅いってことですね」「そうだ。マルゼンスキーは月まで走ったって1着だ」
この会話は忘れられない。なぜなら、マルゼンスキーは本当にぶっちぎってレコードで勝ったからだ。それも逃げ切りで、2着のヒシスピードに22馬身差。直線ではテレビカメラに後続が映らないという、すごい勝ち方だった。 騎乗していた中野渡は「後ろの馬の足音も聞こえなかった」と言い、ヒシスピードに乗っていた小島太は「あれはバケモノだ」と言った。 「だから言っただろ。これが鉄板と言うんだ」 と、先輩は当たり馬券をこれ見よがしに見せてくれた。
マルゼンスキーはニジンスキー産駒の持ち込み馬で、当時、持ち込み馬は3歳クラシックに出走権はなかった。もし、ダービーに出ていればぶっちぎって勝ったのは間違いない。ダービー前、「なんでマルゼンスキーを出さないんだ」という声が殺到し、競馬メディアは特集を組んだほどだった。ちなみに、この年のダービーはラッキールーラが勝った。 これ以上、私が書く必要はないが、マルゼンスキーは有馬記念には出られるので、それに向けて夏から調整を積んだ。日本短波賞を勝ち、札幌でダートのオープンをレコードで圧勝した。ここまで無敗8戦8勝だった。ただし、この後脚を痛めた。それでも、有馬記念には間に合うことになったので、私の期待は高まった。当時、多くの競馬ファンが私と同じだったはずだ。
この年の有馬の人気投票は、テンポイント、トウショウボーイ、グリーングラスの順で、マルゼンスキーは第4位に入った。いま思うと、ものすごいメンバーである。もし、マルゼンスキーが出ていたら、どうなっていただろうか? 残念ながら、マルゼンスキーは最終調教で屈腱炎が再発し、引退することになった。私は本当にがっかりした。有馬はトウショウボーイ、テンポイントで決着し、ついにマルゼンスキーの本当の実力は、誰にもわからないまま終わった。
以上が「マルゼンスキー=鉄板」の思い出である。私は以後、競馬には鉄板があると確信して、何十年も馬券を買い続けた。しかし、いまでは鉄板はないと思うようになった。いや、あることはある。しかし、それゆえ、鉄板で馬券を買ってはいけないのである。なぜなら、「鉄板=絶対本命」を追求することは、ギャンブルではないからだ。 それは、学問でやるべきことだ。学問は絶対真理の追求だが、ギャンブルは絶対真理の追求ではない。もし、ギャンブルに「鉄板=絶対本命=絶対真理」があれば、それはギャンブルではない。
長くなったが、今回、買うのは馬連1点だけだ。 ボールライトニングとシャドウアプローチの1点。前回の京王杯2歳ステークスの1着2着が、そのままこのレースでも1着2着するという、あまりにもイージーゴーイングな買い方だ。 プロと称する人々は、京王杯、デイリー杯、東スポ杯などのレースの比較・分析をして、それなりの結論を出してみせる。それを聞くと、「なーるほどね」と思う。しかし、そんなことは、もう飽きに飽きてしまった。
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